She became infatuated with him
「なぁ、あれ取って」
「あれ?あ、これだね。はい」
「そう、それ。サンキュ」
休み時間の教室。
くじ引きでひいた前後ろの席順。
友達とのおしゃべりの中に入り込む、こそあど言葉で成り立つ会話。
「お前ら、よくそれだけでわかるよな」
「『あれ』とか『それ』とか、夫婦の会話だよ?」
クラスメイトはそうやって呆れたように笑って。
でも、それが二人の普通だった。
必要最低限の言葉で伝わる、繋がる。
大体のことは言葉なんて無くてもわかってしまう。
そんな望美と将臣の関係は『幼なじみ』
それはずっとずっと変わらないものだった。
今までも、これからも、続いていくものだと思っていた。
「んなとこ寝てると、踏むぞ」
「やだ〜。将臣くんに踏まれたらぺちゃんこになっちゃう〜」
「だったら、そこから動けって」
「暑い〜。めんどくさい〜」
「本気で踏むぞ?」
「仕方ないなぁ」
「って、転がるのかよ!いもむしか、お前は」
「だって〜」
夏の熊野で久しぶりに会った二人は、相変わらずの普段通り。
熊野本宮へ向かうある日の朝。
何の前触れも無く現れた将臣は、そのくせすんなりと周囲にとけこんでしまった。
望美と同い年だったはずの幼なじみは三歳も年上になっていて。
それでも根本的な部分や積み重ねてきた時間が消えるわけではないから、 二人は周りが変に勘ぐってしまうほどの仲の良さを見せつけていた。
「なんで、そんなカッコでいられるの?長袖だよ、長袖!!」
「慣れじゃねぇ?」
「ありえな〜い!!!」
曇ることを知らず、全てのものに厳しい暑さを与える空。
何年もかけて育った木々と鳴きやむことの無い蝉たち。
むせかえるほどの潮の匂いと遠くから聞こえる波音。
市で物を売り買いする人たちの声。
勝浦はとても活気に満ち溢れていた。
それは良いことで、喜ぶべきことで、でも少し疲れてしまう。
だから望美は部屋で一人、ごろごろと寝転がっていたのだ。
「周りの騒がしさにあてられたか?」
「静かなところが好きっていうわけでも無いんだけどね。ちょっと、疲れた」
「祭りの日とか浮かれて騒いで、次の日倒れるタイプだよな」
「すいませんでしたー」
望美は寝転がったまま、むす〜っとして顔をそむける。
それがフェイクでイミテーションなのは、わかりきったこと。
「お前、変わんないよな」
「相変わらずお子様だってこと?三歳もふけた誰かさんと違って」
「悪かったな、二十代で」
こんなじゃれあいも、何一つ変わることなく。
けれど全く、全然、塵一つほども変わらなかったわけじゃない。
特に将臣は変わったと望美は思う。
肩にかかるほど伸びた髪とか、成長期の最後のあがきで少しだけ伸びた背とか、 大きな刀を振るうためについた筋肉とか。
身体的なものだけではなくて、きっと精神年齢も上がっていて、置いていかれたようで、 すこし寂しくて悔しい。
見えるものもきっと同じではなくなってしまった。
いまの将臣はなにか大きいものを抱えている。
それは望美にも見せられないようなもの。
そのために将臣はずっと遠くを見ている。
望美には見えない何かを見ている気がしてならない。
あとは会話だ。
「なぁ、望美」
「なに?」
「・・・・・・いや、なんでもない。気にすんな」
「それ、もう何回目〜?いい加減、気になるよ」
こんな感じで成り立たない会話が増えた。
どこかで齟齬がある。
うまく繋がらない。
「あれ取って」
「あれって、どれ?・・・これのこと?」
「その隣」
「あ、こっちか」
将臣に「あれ」と言われても、今の望美はうまく反応できない。
向こうの世界では無かったことだ。
こそあど言葉でさえ、伝わらない。
これが三年間の時間の流れだというなら、そんなものいらなかった。
でも、変わってしまったのは望美もおんなじだ。
神子と呼ばれて、刀を振るって、怨霊を封印して、戦場に立って。
それだけではなく。
「ねぇ、将臣くん」
「どうかしたか?」
「ううん、呼んでみただけ」
「変なヤツ。俺は高いぜ〜」
「幼なじみ特別価格、九割引きで」
「ちょっと待て」
顔を見合わせて笑いあう関係。
今までどおりのまるで兄妹のような『幼なじみ』の関係。
穏やかで、やわらかくて、あたたかくて、ぬるま湯のような関係。
物足りないと思ってしまったのは、いつからだろう。
将臣と離れている間に、望美は気づいてしまったのだ。
自分にとって『有川将臣』がどれだけ大きな存在だったかに。
動き出してしまった感情に。
口に出したら積み重ねてきたものが崩れてしまいそうで、怖くて言えないけれど。
この気持ちに気づかれないなら、繋がらないままでも良いと思ってしまう。
情けなくなるくらいの臆病者。
そんな自嘲でさえ、将臣は気づいていない。
「何か、あったか?」
「え?」
「最近ぼ〜っとしてること増えてるからさ」
「そう、かな?普通だよ」
「無理してるんじゃないか?」
「そんなことないって」
風が通るおかげで少しだけ涼しい部屋の中、寝転がったままの望美の髪を将臣がなでる。
まるで恋人同士の馴れ合いのようで、決定的に違うことを望美は知っていた。
嬉しいけど、苦しい。
調子がおかしいのは将臣のせいだ、なんて言えるはずも無い。
「なんか言いたいことあるだろ?」
「なんにもないよ〜」
気づいてないくせに、変なところで敏感で、いったい望美にどうしろというのだろう。
正直に曝け出してしまうなんて、無理な話。
知りたいなら気づけばいい。
気づかないでと祈っている。
二律背反で身動きも取れない。
「言葉が無くても伝わることもあるけど、言葉で伝えたほうがいいこともあると思わないか?」
髪をなでる手も、見下ろしてくる瞳も、その身にまとう雰囲気も変わらないまま将臣が言う。
「いきなり、どうしたの?」
気づいていたのだろうかと内心の動揺を必死に抑えながら、望美が聞き返す。
瞳は合わせられない。
「最近そう思うようになった。多分、口に出したくて仕方ねぇんだ」
「何・・・を?」
瞳に感情の移り変わりは見えなくて、口調に少しの揺らぎも無い。
将臣が言おうとしていることが、伝えようとしていることがわからない。
わからない理由がわからない。
ほんの小さな一欠片さえつかめない、その理由が。
「壊したいと思うのに今のままにしておきたい場合って、どうすりゃいいんだろうな」
「それは・・・・・・。将臣くんがどっちを強く願うかじゃないの?」
「なら、壊してもいいか?」
「さっきから将臣くんの言いたいことがわからないよ」
「違うだろ。わからないふりをしてるだけだ」
外からの日の光が眩しい。
蝉の声がうるさい。
将臣の声が遠い。
言葉の意味がわからない。
違う。
わかりたくない。
壊さないで。
戻れなくなる。
パリン、と何かが割れる音がした。
「好きだ」
静かに、凪いだ海のように静かに告げられたのはたったの三語。
積み上げてきた全てを崩して彼方へと追いやる言葉。
「バカじゃないの」
顔を両手で覆いながら望美が吐き出すその声は、今にも泣きそうなくらいにふるえていた。
「お前が俺次第だって言ったんだぜ」
「私のことまでなんて抱えきれないくせに。なんにも教えてくれないのに。どうして・・・!」
「言わなきゃ後悔すると思ったんだよ」
「それで言い逃げ?本宮までしか一緒にいられないのに。私にどうしろっていうの」
「なら、今のことは忘れちまえ」
「最低っ!!どうして、そう自分勝手な・・・」
「それが俺だろ?」
怒りのあまり起き上がった望美の目の前にあったのは、笑顔。
寂しげな色が瞳に浮かんでいる。
それだけでまるで知らない人のような将臣の顔。
「受け止めるか、捨てるか、それはお前の問題だ。強要したってしかたねぇだろ」
「卑怯だよ、それ・・・」
「かもな」
応えようと応えまいとあの頃には還れない。
感情にしろ関係にしろ、動き出してしまった歯車は止められない。
伝える以外にどうすることもできない。
将臣が笑っている。
寂しげな瞳はいつの間にか余裕ある顔に変わっていた。
やっと気づく。
望美の気持ちなんてとっくの昔にバレていたのだ。
「・・・気づいてて言ったでしょ」
「どうだろうな」
「ずるいね」
「気づいてても言葉で聞きたいこともあるんだよ」
「ワガママ」
「いまさらだろ。で、返事は?」
口に出さなくても伝わることがある。
言葉にしたせいで誤解されることもある。
それでも、言葉は想いを伝える一番の方法。
繋がるための第一歩。
「私も、好きだよ」
ほら、たった一言で世界が変わる。
将臣誕生日記念〜〜!!
あ〜長かった。まとまらなくなりそうになって焦りました。
時間軸的には1周目の熊野です。
捏造もいい加減にしとけってヤツです。
この先にどんな未来があったとしても。
この想いだけは悔やんだりしない。
060812作成