Tricolore Nightmare


 綿雪が降る。
 周囲の物音を全て吸い込んで、ただただ深々と降り積もる。
 地面も、木も、建物も、私と私を覗き込む銀も。
 全てが白一色。

 「神子様」
 「なに?」
 「何を見てらっしゃるのですか?」

 私を正面から覗き込みながら銀が言う。
 その顔があまりにも近いから、周りの景色なんてほとんど目に入らないのに。
 真剣な表情で、まっすぐな瞳で、心配そうに言うから返答に困る。
 その間にも、銀の髪に、私の肩に、辺り一面に雪が積もっていく。

 「銀以外はほとんど視界に入ってないよ」
 「いいえ。貴女は私を見ていらっしゃらない。貴女は、何を・・・」

 泣き出す寸前の子供のように、縋る腕を見失った迷子のように、銀が顔を歪める。
 そういう顔も綺麗だな、なんて不謹慎なことをぼんやりと思う。
 思考回路が鈍ってきているみたいだ。
 そっと銀の頬に手を伸ばす。
 一瞬、驚いたように目を見開いて。
 それでも、ゆっくりと包み込むように手を重ねられる。

 「声が、するの」
 「声・・・ですか?」
 「・・・気がつくと凪いだ海の上に立ってて。水底から・・・声が聞こえる」










 白い世界。
 誰もいない。
 何もない。
 ただ真白な空間だけが延々と果てしなく広がっている。
 足元には蒼い海。
 波一つ立てることなく、鏡のように望美を映す。
 確かに海の上なのに、望美は沈むことなく立ち尽くして。




 響く声。
 水面を揺らすことなく静かに。
 脳に直接入り込むように深く。




 声の出所はわからない。
 世界はただただ白く、何もなく、誰もいない。
 それでも探そうと海の上を歩けば、足元から何重にも広がる同心円。
 一歩ごと波が立って、広がって、ぶつかって、消えていく。
 歪む水面に垣間見えるのは。
 傷だらけで、服もボロボロで、肩口を真紅に染めた、あの日の自分。
 聞こえる声は。
 懐かしく憎らしく愛おしく泣きたくなるほどに。








 『どこ・・・?』








 辺りはただ白く、何も無い空間に発した声がゆっくりと溶けていく。
 目に映るのは。
 白い闇。
 蒼い海。
 声の主は。
 どこにもいない。
 藍錆色は。
 どこにも見えない。



 漠然とした不安。
 混沌とした恐怖。



 白い世界は全てがおぼろげで。
 自分の輪郭さえ不確かで。
 立っているのは海の上で。
 足元が覚束無い。
 このまま空気に溶けてしまいそう。








 『どこにいるの・・・?』








 溶ける問い。
 響く声。
 白い世界。
 蒼い海。
 何もない。
 誰もいない。
 聞こえてくる声だけが脳を侵す。



 どこまでも続く世界に歩くことさえ怖くて。
 ぺたりと座り込む。
 感触は紛れも無い水。
 けれど望美の身体は沈まない。
 否、沈めないのかもしれない。
 伸ばす腕は水に触れても、その先へと進むことは出来ない。
 海が望美を拒絶する。








 『ねぇ、どこ・・・?』








 覗き込む水の底。
 深い深い蒼は全てを飲み込んで何も見えない。
 海の中から世界を見ると、こことは色違いなだけなのだろう。
 蒼い世界。
 白い地面。
 何もない。
 誰もいない。
 広がる虚無。



 水面に手をつく。
 鏡映しの姿は傷だらけで血まみれ。










 ぽたり。









 肩から腕をすべり落ちて一粒の紅玉が海に沈む。
 蒼い海が一瞬で深紅に変わる。





 世界は白。
 海は紅。
 名を呼ぶ声。
 水中から伸ばされる腕。
 金と赤の手甲。




















 捕  ら  わ  れ  る  。




















 『知盛・・・?』

 問う声に返事は無い。
 紅い水中に姿は見えない。
 茫漠とした白い世界で望美を捕らえる腕だけが確か。
 掴む腕から伝わる体温。
 掴まれた腕にはしる痛み。
 ただ、それだけが。




















 白い世界。


 真っ青な空。


 紅い海。


 深緑の森。


 伸ばされる腕。


 踏み切った足。


 響く声。


 最期の笑顔。


 紅い、海。




















 『堕ちて・・・くるか?』




















 「そちらに行ってはなりません」

 強く掻き抱かれる。
 飛び立つ小鳥を閉じ込めるように。
 舞い遊ぶ蝶を捕らえ置くように。
 沈み行く私を引き止めるように。
 力の入らない身体が重くないわけがないのに。



 右肩に埋められる銀の額。
 首筋に流れる鳩羽色。
 染み込んでいく沈香。



 それでも。



 下がっていく体温。
 力の抜ける腕。
 閉じていく瞼。




















 「私が堕ちるのは必然なんだよ」




















 降り積もる雪は










 暗いです。
 どうしようもなく暗いです。


 奈落の底へ
 だってもう、君はそこにしかいないんだ


 070227作成