Sink into deep grief


 何の脈絡も無く唐突に、髪一筋もの躊躇いもなく顔面に向かって四角い箱が落ちてくる。
 鼻の頭にぶつかるぎりぎり手前で知盛は箱を掴む。
 手に当たったときの衝撃で箱から香る甘い匂い。
 それだけで中身が何なのかは容易に想像がつく。
 今日は2月14日、世に言うバレンタインデーだ。

 「・・・なんだ?」
 「あげる」
 「もう少し、マシな渡し方はないのか・・・?」
 「来るたびにソファで寝こけてる男なんて、それで十分」

 今日、望美が来るなどということを知盛は知らなかった。
 チャイムを鳴らしもしないで合鍵を使って入ってきたくせに、 昼寝をしていたことについての文句を言われる筋合いはない。
 望美の声はキッチンのほうから聞こえてくる。
 ビニール袋のガサガサという音もするから、おそらく食材でも買ってきたのだろう。
 その音を聞きながら知盛は気だるげに身体を起こす。

 「ってか、冷蔵庫の中空っぽ!どういう食生活してんの!?」
 「さぁな」
 「自分のことでしょうが」

 お酒とミネラルウォーターだけは入ってるってどういうことなんだろう?
 望美は軽い偏頭痛を覚えながら、買ってきた食材や冷凍食品なんかを片付ける。
 入れておけば無くなるのだから食べてはいるのだと思う。
 知盛が料理をするところなんてちっとも想像が働かないけれど。
 昼食を作り始めるにはまだ早い時刻。
 今日は知盛に作ってもらうのもいいかもしれない。

 「なんか飲む〜?」
 「水」
 「ボトルのままで良い?」
 「あぁ」

 この家は、というよりも知盛のいる部屋はいつだって温度が高い。
 地球温暖化とかエネルギー資源の枯渇とか、そんなことにはまったく配慮していないように。
 こんな部屋でぐだぐだと寝ていれば喉が渇くのは当然。
 望美だったら絶対に寝ていられない。
 喉が渇く以上に肌が乾燥してとんでもないことになりそうだ。
 加湿器をつけて、石油ストーブを切る。
 知盛の眉が少し上がるのが見えたが気にしない。

 「バレンタイン・・・か」
 「そうだよ。っていうか知ってたんだね」
 「まぁな。それで、チョコレートを頂けるほどには好かれていると・・・?」
 「正面きって言うな」
 「違うのか?」
 「知盛だけにチョコをあげたわけじゃないです」
 「どうせ、有川とその弟だろう・・・?」
 「うっさいよ」

 食材と一緒に買ってきた新製品のお茶のボトルを持って望美は知盛の対面に座る。
 ふわふわとしている黒いカバーのクッションを抱きかかえるのはクセだ。

 「将臣くんも譲くんもモテるから、たくさんもらってるんだけどね」
 「それでも、やる・・・と?」
 「年中行事みたいなものだし。喜んでくれるんだよね、誰かさんと違って」
 「・・・さっきのはお前の渡し方のせいだろう?」

 有川はともかく、弟のほうは喜ぶだろう。
 たとえ、それが義理でしかないとしてもだ。
 知盛という存在が出てきて、横から掻っ攫っていった今だってあの男は望美が好きなのだろうから。
 そのことに幸か不幸か本人は気付いていない。
 気付かないまま此処で楽しそうに話しながらお茶に口をつけていたりするのだ。

 「寝てばっかりいるのが悪い」
 「あいつらには・・・まともに渡していると?」
 「そりゃあ、まぁ。譲くんは朝早いから出掛けをつかまえて、将臣くんは起こすついでにね」
 「起こす・・・?」
 「だって将臣くん、知盛並みに朝弱いもん。大声で騒いで、布団引っぺがして、 覚醒しだしたところで渡すの」

 ごくごく普通のありきたりな日常風景だと望美は笑う。
 軽く問題発言をしたことなんてわかってはいない。
 いくら幼馴染みとはいえ、寝てる男の部屋に入り込むということがどういうことか。
 きっと望美は知らないし、気付きもしない。

 「起き抜けの顔面にチョコレートの箱を落としたりはしないわけか・・・」
 「そんなことしないよ。一日中、口きいてくれなくなっちゃうもん」
 「俺にはしたのに・・・か?」
 「だって、知盛起きてそうだったし」
 「大した愛情表現で・・・」
 「それほどでも」

 知盛が口を閉じる。
 何かを考えるように少し眉をひそめて。
 飲むと言っていたミネラルウォーターのボトルにはまだ口をつけていない。

 「不機嫌だね。低血圧?」
 「いや・・・」

 それっきり無言の空間が広がる。
 知盛が何を考えているのかはわからないが、こういうときは何もしないほうが良いということを 望美は経験的に知っていた。
 自分が何かまずいことを言ったのかもしれない。
 それでも、そのことに触れないようにしていたほうが回復は早い。

 望美は鈍い。
 他者の感情には酷く敏感なのに、自分へと向かう恋情にはさっぱり気がつきもしない。
 そのおかげで周囲に男がぞろぞろといたのに何事もなく、今は知盛の対面に座っていたりするのだが。
 自分を不愉快にしている感情に気付けばいいと知盛は思う。
 気付かない鈍さが望美を作り上げているのだろうが、ここまで酷いといっそ自嘲したくもなる。

 「中身は・・・?」
 「リカートリュフ」
 「?」
 「中にお酒の入ったトリュフだよ。開けてみれば?私も気になってるんだよね〜」
 「自分で選んだんだろう・・・?」
 「それでも気になるのが女の子なんだよ」

 リボンをほどいて開ける箱に望美が身を乗り出す。
 中には4種類のトリュフが3個ずつ綺麗に納まっていた。

 「ね、1個もらってもいい?」
 「初めから・・・そのつもりだったんだろう?」
 「あはははは・・・・・・」
 「好きにすればいい」
 「やった!知盛、大好き!!」
 「随分と軽い、『好き』だな・・・」

 4種類の中から1つを選ぶ望美の目は真剣そのものだ。
 中に入っている酒が違うとはいえ、味にそんなに変わりはないことは自分でもわかっているのに。
 しばらくの間、チョコとにらめっこをしてようやく1つを選ぶ。
 選んだのは中にシェリーの入っているもの。
 うきうきとそれを取り出した瞬間。

 「っ・・・!!知盛、何すんの!!」













 摘み出した指ごと、チョコを食べられた。













 「見たまま、だな・・・」
 「さらっと答えないでよ!って、舐めるなぁ!!!」
 「クッ・・・・・・。可愛らしい反応だな」

 指先についたココアパウダーと溶けたチョコを知盛の舌が丹念に舐め取る。
 手を引っ込めようとしても、手首を強く掴まれてしまって動かすことさえできない。

 「ちょっ・・・!本当に、やめてってば!!」

 指を口から出して舌で嬲る様を見せつけるものだからたまったものじゃない。
 知盛の藍錆色の瞳に剣呑な光が宿る。
 このままでは済まないと脳内で警鐘が鳴り響く。

 「知盛、いい加減にっ!!」

 本気で怒鳴り散らそうと声を出した瞬間に、知盛が手首を放す。
 握られていた箇所はかすかに赤く、ひりひりと痛い。

 「お前は本当に・・・この手のことに弱いな」
 「現役女子高生に何求めてんの、このバカ!!」
 「お前が鈍いからだ・・・・・・」
 「はい?何、私が悪いの!?」
 「さぁな」
 「意味わかんないよ」

 藍錆色の剣呑な光は鳴りをひそめ、緊張感は漂うものの部屋の空気は通常に戻りつつある。
 けれど望美には知盛のいきなりな行動がわからない。
 おそらくはさっきまでの不機嫌と関係があるんだろうけれど、 それ以上のことはまったく見当もつかない。

 「有川は、こういうことはしないだろうからな・・・」
 「当たり前でしょ。こんなことするのは知盛だけ!!」
 「クッ・・・・・・」
 「笑いごとじゃないって!」

 強く握りすぎたせいで赤くなってしまっている手首を取ろうとすると、 望美はすぐさま手をひっこめた。
 有川に対してもこのくらいの警戒心があればいいんだが・・・。
 知盛が嘆息をもらしたことに望美は気付かない。








 「本当に、お前は鈍い・・・」










 知望バレンタイン、自分的お題はやっぱり「嫉妬」
 知盛は嫉妬というより独占欲ですね。


 優しさゆえの犀利
 純真ゆえの無頓着
 厄介なのに離しがたい


 070214作成