Play a winning game
「おめでとっ!」
よく晴れ渡った秋特有の高い空、太陽が南の一番高いところを通る時間帯。
相手がいかにも起き抜けですといった様子で玄関を開けると同時に投げつける一言。
もう一度、いやもう二度は寝るに決まっている知盛の覚醒していない脳では、 きっと言葉の意味はわかっても内容の理解は出来ていない。
完全に目覚めていても、主語が無い言葉を理解できるかは謎だけれど。
「じゃ、言いたいコトは言ったから!」
片手を上げると、マンションの階段へと走り出す。
咄嗟に、恐らくは反射反応で掴まえようとしてくる知盛の手を素早くすり抜けて、階段を駆け下りる。
本当はエレベーターを使った方が早いのだろうけれど、 待っている間に知盛が追いかけてきてしまうかもしれないから足で階段を下りる。
これはゲーム。
追いかけてこなければ、望美の勝ち。
言葉の意味に気付かずに追いかけてきても、望美の勝ち。
言葉の意味に気付いて追いかけてきたら、知盛の勝ち。
圧倒的に勝算に差がある、望美がルールを決め、知盛には何も知らされない、 そんな理不尽なまでに一方的なゲーム。
スタートを告げるピストルは望美の手によって鳴らされた。
金木犀が咲き誇る道を駆け抜ける。
黄色い甘い匂いが望美の身体を包んで、鴇色の髪の上で踊る。
手折ろうかと立ち止まって手を伸ばしたところで、やめる。
今はゲーム中だし、手折った花はあっという間に枯れてしまう。
枯れていく花も、枯れてしまった花も嫌いだ。
花は咲き始めから満開までが美しい、と望美は思う。
知盛も手折った花は嫌いだったはず。
少し上がっていた息を整えて、また望美は走り出す。
知盛がすぐに追ってくることはないだろうけど、 万が一なんてことが無量大数分の一くらいの頻度で起きるかもしれない。
それにもうすぐ電車が来る。
追いかけっこに電車は卑怯だろうと思わないことも無いけれど、 使ってはいけないと決まっているわけではない。
もともと望美がルールのゲームなのだから、望美が良しとすれば全てがまかりとおる。
どうせ、知盛は追ってこないし。
藤沢駅で降りて、望美はショッピングをはじめる。
知盛へのプレゼントを実は買っていない。
男性へのプレゼント、しかも自分よりも7歳も年上となると何を買ったら 喜ばれるのかさっぱりわからなかったのだ。
将臣なんかは「本人に聞けばいいんじゃねぇ?」と言うのだけれど、 そんなことを聞いたらその先はなんとなく予想ができるので光速よりも早い決断で却下。
煙草でも吸うなら某金属製オイルライターとか、 なんとなく考えが回るのだけれど知盛は匂いが嫌いだといって煙草を吸わない。
未成年ゆえに望美がお酒を買うのも無理。
服はおそらく知盛本人が選んだほうがセンスがいい、少し腹立たしいけれど。
香水の人工的なキツイ香りも知盛は好かない。
「まったく、やっかいだなぁ。将臣くんに付き合ってもらえばよかったかな?」
将臣が付き合うかと聞いてきたのを断ったのは望美自身。
プレゼントは自分で選びたかったし、まさかこんなに悩むとは思っていなかったのだ。
それよりも前に、もっと早いうちに用意しておけよという話だが。
いろんなお店を渡り歩いて、デパートのフロアをぐるぐる回って、ようやく望美は一つのものに目を留めた。
黒い本革の三重巻きブレスレット。
細いベルトを巻きつけるタイプのそれはとてもシンプルなもので知盛に似合う。
本革なだけあってそれなりの値段はするのだけれど、望美は迷うことなくそれを買った。
ついでに他の店で金木犀の香りのアロマオイルを買う。
知盛の部屋から似合わない甘い匂いがしたらおもしろい。
そのほかにも、ろくに外に出ることの無い知盛のために日用品なんかを買ったり、 自分用に服を何着か買ったりして、買い物が終わってみると外は夕焼け。
夏に比べて陽が落ちるのが早くなった。
そろそろ戻らないと、知盛もさすがに動き始めるかもしれない。
「ケーキは明日かな?これから走るし」
重くはないけれどかさばる荷物を持ちながら、少しだけ伸びをして望美は駅へと向かっていった。
知盛、起きてなかったらどうしよう?
知盛のマンションが見える、マンション自身からは少し離れた路地で、 知盛の部屋に明かりがついていることを確認する。
どうやら知盛は起きたようだ。
追いかけてきてくれてはいないけれど。
「このままだと、私が勝っちゃうよ?」
にやりと小さく口の端に笑みを浮かべて望美は走る。
荷物はプレゼント用のブレスレットのみ。
他の物は全部自宅に置いてきた。
もちろん、将臣に連絡をとって知盛がいないことを確認してからだ。
ケータイを使って第三者と連絡をとるのもルール違反ではない。
望美の脳内ルールなのだから、望美に都合よく出来ていて当然。
とはいえ、同じことを知盛がやっても良いことにはなっている。
ゲームは表面上平等なのが定理。
夕方になって気温がぐっと下がるのは秋のいいところだ。
昼間も走りぬけた金木犀の咲き誇る道は、気温の低下とともにさらに甘い匂いをふりまく。
小さな小さな花が醸し出す狂おしいまでに甘い匂い。
甘く人を惹きつける金木犀の匂いは、時折泣きたくなるほどに切ない。
強い向かい風が吹いて、金の花が舞う。
ふわふわと空気抵抗のせいでゆっくりと落ちてくる金砂の中、黄色く甘い霞の向こうに、 見慣れた薄鈍色。
「銀木犀はこの辺には無いと思ったんだけど?」
「確かに、無いな・・・」
「外に出るなんて珍しいね。何かあった?」
「寝起きにあんな意味のわからないことを言われれば、気にもなるさ」
「あ、覚えてたんだ。二度寝のついでに忘れたのかと思ってたのに」
「・・・寝てない」
「は?」
今、知盛はなんて言った?
『寝てない』・・・・・・?
あの、知盛が?
「じゃあ、何してたの?」
「考えていた・・・」
「何を?」
「お前が、言った言葉を」
あまりにも想定外な展開に望美は目が点だ。
知盛が、戦の次に睡眠が好きなあの知盛が、起き抜けに唐突に放った望美の言葉を 考えるために起きていたなんて、悪い冗談のようだ。
誰がそんな状況を想像できるというのか。
少なくとも望美には出来ない。
もしかしたら、気付いたのだろうか?
気付いた上で望美を探そうと外に出てきたのだろうか?
だとしたら完敗だ。
せっかく望美が勝てるようにルール決めをしたゲームだったというのに。
「わかったの?」
「さぁ、どうだろうな・・・?」
「わかってないと嬉しいんだけどな」
「何故だ?」
「だって、そうじゃないと私の負けだもん」
「なら、安心するんだな。今日は俺の生まれた日、だろう?」
「わかってるんじゃん!負けが近いのに、安心なんてできないって!!で、知盛は何しに外に出たの?」
「人の手をすり抜けていった、つれない神子殿を探しに・・・。と言ったら、どうする?」
「・・・・・・負けました。うわぁ、嘘だ!信じられない、ありえない!!」
「さっきから言っている『勝った』『負けた』というのは何だ・・・?」
「私が一方的に決めたルールのゲームのこと」
「・・・わけがわからない、な」
負けた、というわりに望美は嬉しそうに笑っている。
それならば構わない、と知盛は柄にもないことを思う。
風になびく鴇色の髪を一房取って口付ける。
同時に知盛の頭が撫でられた。
「何だ?」
「自分の誕生日を覚えてたから、ご褒美?あと、金木犀ついてたよ」
「・・・足りないな」
「軽く、死んできていいよ?止めないから」
そういう望美の瞳は柔らかく微笑んでいて。
とてもとても嬉しそうで。
甘い金木犀の匂いが知盛の鼻をくすぐる。
それよりも甘い声が耳元で囁かれた。
「ハッピーバースデー、知盛」
知盛、ハピバ!!
そのわりに出番なくてごめんよ。
金木犀は恋の香り
060923作成