In the cage


 コンクリを打っただけの壁。
 オレンジ色の夕日はブラインドに遮られて細い線状の光を投げかけるだけ。
 薄暗い灰色に支配された部屋で。
 静脈血のように赤黒い髪をした少女は白磁で出来たような闖入者を無遠慮に睨みつけていた。
 「あんた、誰?」
 「白兎」
 「名前なんかどうでもいいんだけど」
 ぴたりと合わせた視線を少しもずらすことなく少女、朱姫は冷たい声で言う。
 ここは朱姫の飼い主、黒嗣の部屋だ。
 黒嗣以外は来ることのない部屋なのだ。
 「なら、君は僕に何を聞くの?」
 「黒嗣の何?」
 「主」
 黒嗣とそんなに年が離れていないだろう青年は、そう笑う。
 「主?黒嗣に・・・・・・?」
 朱姫の知っている限り、黒嗣は人を寄せ付けない人間だ。
 自分を飼っていること自体がおかしいと思えるほど。
 そんな男に、主?




 「アレは、未だに僕に逆らえないからねぇ」




 真っ白な白兎の笑顔は、天使のそれのようだ。
 けれど、朱姫は気持ち悪いと思った。
 毒ある華の蜜のような。
 気付かないように侵してゆっくりと蝕む。
 気持ち悪い。



 「君は朱姫ちゃん、だね」
 「ちゃん付けしないで、虫唾が走る」
 睨みつける瞳をさらに細めると、白兎は笑みを深めた。
 「黒嗣が気に入るわけだね。・・・よく似てる」
 「そう」
 盆に張った水のように、少しの感情の揺れも朱姫は見せない。
 面白い子だと思う。
 強がっているだけなら瞳が揺れても良いはずなのに、それさえ無い。
 自分の飼い主に興味が無いのか、あきらめているのか、それとも他の何かか。
 どれにしたって、ここまで反応の無い子は珍しい。
 「気にならないの?」
 「別に。誰に似てようが関係ない。私は私」
 「へぇ・・・」
 白兎は目を見張る。
 小馬鹿にしたような笑い顔。


 「ここに何しに来たの?」
 問いかける声は詰問調。こたえる声はひどく穏やかで。
 朱姫は焦りを隠しきれない。
 いつも通りなら、もうすぐ黒嗣が帰ってくる。
 「アレのお人形がどんなモノか見に来た、かな?」
 「なら、もう十分でしょ。帰れば?」
 「冷たいなぁ。そんなに僕を黒嗣に会わせたくない?」
 なにもかも見透かしたように、作り物の天使が嗤う。
 「あんたは良くない」
 クスクスとまるで少女のような。完璧な笑い声。
 何かが違う。
 世界と相容れない。
 この男は危険だ。
 秩序を壊す。
 つくりあげてきた全てを。



 「ねぇ、どうして君は逃げないの?」
 唐突に白兎が尋ねる。
 朱姫には意味がわからない。
 「何が言いたいの」
 「手足を縛られたわけじゃない。羽をもがれたわけでも。そもそも扉に鍵はかかってない。 なのに、どうして籠の中でじっとしてるの?君は限りなく自由なのに」
 黒嗣と違ってね、と心の中で付け加える。
 彼女にそれを教える必要は皆無だ。
 「ここから出たって、外には何にもないのに?興味ない。ここが私の世界で全て。他はいらない」
 紅玉の瞳を絶対零度にまで冷やして少女が言う。
 さも当然で他の選択肢などありはしないというように。
 「依存してるのはお互い様ってことか」
 「それが何?」






 どしゃ降りの雨の中。びしょ濡れの腕を掴んだ夜色の男。
 暗く閉じた世界で彼は漆黒。
 全てを吸って覆う闇。
 ぱっくりと口を開けた奈落の底。






 魅入られたのだ、出逢ったあの日に。
 それでいい、それがいい。
 真っ白な毒なんて邪魔なだけだ。
 さっさと消えてしまえばいい。
 薄まった闇に用はない。
 何もかもを塗りつぶす混沌が欲しいのだ。
 もうすぐ、彼が帰ってくる。
 だから。はやく。












 「彼の底は真っ白だよ?アレは僕のモノだからさ」












 耳朶から入り込んだのは絶対者の宣告。










 名前の読み方・・・朱姫=しゅき、白兎=はくと、黒嗣=こくし
 管理人の趣味に偏ってます。
 執着と依存は、ある意味で愛情の終着点だと。


 現実のしがらみから解き放たれて。
 それなのに、自由なままでは生きていけない。
 彼がつくった静かな暗闇。
 そこでようやく息ができた。


 060605作成