The sky full of cracks
「こんなモノが欲しかったわけじゃないんだよ」
呟いた言葉は虚しいくらいに高く青く晴れ渡った雲ひとつ無い空に溶けていって。
せめて今が冬なら良かったのに。
こんな今さらな言葉は、辺り一面を容赦なく塗りつぶしていく透明度0の雪に吸われて誰にも届かずに すぐ目の前でバラバラに分解されれば良い。
どんなに望んだって今は秋。
紅葉が盛りでどこを見渡したって景色は赤と黄色の錦。
秋の空が高いのは空気が乾燥して雲が高い位置にあるからだとか、視界が良くなるからだとか言われていて。
どうせなら空気が乾燥しすぎて空がひび割れてしまえばいいのに。
修復不可能なくらいに細かく細かくひび割れて、それでも砕けることを許されずにギリギリで続いてゆけば。
「知ってたさ」
「なら、渡してくれなくて良かったのに」
「アイツからの頼みごとって珍しいんだぜ?」
私は庭に面した廊下の手すりに腰掛けて外を見ていて。
将臣くんは隣で手すりに背中を預けて座って屋敷の中を見ていて。
お互いの顔は見えない。
それでも相手が何を思っているかなんて考えるまでもなかったし、きっとそれは将臣くんも同様で、 幼馴染みというのは厄介だと思う。
知りたくないことも知られたくないことも手に取るようだ。
繋ぐのは一緒に過ごしてきた17年という時間と経験だったはずなのに、今はもう一つ、一人の男が存在して。
今はもういない、死んでしまった殺してしまった伸ばした手からすり抜けていった男。
「形見にしておけって?」
「まさか。アイツがそんなこと言うと思うか?」
「思わない、けど・・・。結果的には形見でしょ?」
「まぁな・・・」
ころりと手の上で紫水晶が転がる。
森の中で、川辺で、街中で、舞台の上で、知盛の動きに合わせて揺れていたネックレス。
蝉の音がうるさく、太陽は眩しく、気温は茹だるくらいに高くて、生命活動にちっとも優しくない 夏の熊野で欲しいと言ったモノ。
藍錆色によく似た紫が陽の光に照らされて透ける。
手のひらに広がる紫色の光。
欲しかったのはこんなモノじゃなくて。
必要だったのは後に遺されるモノなんかじゃなかったのに。
「ムカつくから捨ててきて良い?」
「お前な・・・」
「だって、こんなモノが欲しかったわけじゃないのに」
「何なら、欲しかったんだよ?」
「・・・・・・執着」
ころころと水晶を手の上で弄べばちくちくと刺激がする。
痛点を押されているのか、圧点を押されているのか、わからないほどの刺激。
痛いのか重いのかわからない。
まるで知盛の存在みたいだと思う。
死んでいった殺してしまった伸ばした手からすり抜けていった、心の中核に記憶の中枢に 圧倒的な印象を残していなくなった。
存在の不在が、絶無の保有が、痛いのか重いのかわからない。
「執着?」
「自分の命への執着」
「それは・・・・・・」
「敗将が辿る末路なんてわかってるよ。でも。だからって。あんな、あんな風に・・・」
満足げな藍錆色に映っていたのは、今にも泣き出しそうな子供。
深く果てない蒼海に広がったのは、赤黒い靄。
繰り返し夢に見てもわからない。
どうしてあんなに満足そうだったのか。
どうしてあんなに穏やかだったのか。
どうして笑っていたの?
私はただの好敵手でしかなかった?
ふわりと左肩から右の上腕に向かって回された左腕。
左の肩口にうずめられた頭。
頬に触れる蒼い髪がくすぐったい。
「将臣くん・・・?」
「左手、血が出てるぜ」
尖った水晶を持ったまま、いつの間にか固く握り締めていた手からは確かに血が流れていて、 赤い雫がポタポタと地面に落ちていく。
でも、ただそれだけで痛いとは思わない。
それなら未だに癒えない右肩の傷のほうがよっぽど、痛い。
それに触れないように利き腕とは逆の腕で抱きしめてくる将臣くんの優しさのほうが、もっとずっと。
「そういうことを聞いてるんじゃないんだけどな」
「・・・ゴメンな」
「何が?」
「色々と、さ」
回されている腕に力が込められる。
ぎゅっと抱きしめられた今の体勢は慰められているのか、縋られているのか。
ただ、きっと、そう。
3人で過ごした短い戦の合間の小休止が、穏やかでゆるやかで優しかったから。
存在の不在が、絶無の保有が、痛すぎて重すぎて。
感覚が麻痺してるんだ、私も、将臣くんも。
「どんな結果になるかなんて、わかってたのにな」
「私はわからなかったよ。戦ってる最中に起こりうる結果を考えてたくらいだもん」
「そっか・・・」
「でも、まさか、自分から海に飛び込むとか思ってなくて。卑怯だよね」
「アイツらしいけどな」
「らしすぎて嫌になるよ。もっと執着すれば良かったのに」
「そういうキャラじゃねぇからなぁ」
「それでも。私の剣技への執着の10分の1くらいはあっても良かったと思わない?」
「確かにな」
「知盛はあとに残される人のことを考えてないんだよ」
赤と黄色の錦が時間の流れを否応も無く告げる。
抱きしめてくる力の強さが彼の不在を証明する。
青く晴れ渡った空は真夏の熊野のようで、晩夏の壇ノ浦のようで。
けれど空の高さがあの頃には戻れないと嗤う。
左手の中の血まみれの紫があの日の彼を彷彿とさせる。
「・・・・・・それ、どうするんだ?捨てるか?」
「捨てられないってわかってるくせに」
「いや、お前はキレると何するかわかんねぇから」
「だからって、捨てたりしないです〜!」
「なら、いいさ」
肩口にうずめられた頭が、回されていた腕が、離れる。
ぽんぽんと小さい子供にするように頭を撫でられる。
その手の変わらない優しさに泣き出してしまいそうだ。
存在の不在にも、絶無の保有にも、泣いたりは出来なかったのに。
「軽く手当てしとくか」
「そうだね」
見上げた空は青く高くどこまでも広く。
だからこそ、ひび割れてしまえば良かった。
久しぶりの更新が甘くないってどうよ?
すいません、明月の趣味です。
チモが死んだあとの望美の葛藤が好きなんです!
二振りの刀を持つその手の片方でいいから
この世への執着が残っていれば良かったのに
私が貴方の執着になれたら良かった
061211作成