何を言われてもいいと思った
誰にどう思われても構わない
wish the Stars
伽羅御所は夏の日差しを浴びて蝉の声がけたたましい。
南庭は美しく見えるように作りこまれているはずなのに、見ているだけで暑苦しく感じる。
そう思ってしまうのはやっぱりこの暑気のせいだろうか。
京や鎌倉より北にあるはずのこの地は、夏の暑さではどちらにも引けを取らない
――暑さの種類が違うだけで、おそらく奥州のほうが暑いだろう。
呼吸のたびに暑気が喉に滑り込んできて、体の中が発火してるかと勘違いしてしまうような暑さだ。
だが、それも日中の話で、夕暮れになると涼しくなる。
篭った暑さを涼風が流してゆき、空が藍色に染まる頃合にもなれば過ごしやすい。
べらぼうに暑かった昼間の騒がしい空気が、しっとりと落ち着きを見せ始める黄昏時の美しさは、
望美のお気に入りの時間でもあった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
今日の太陽が見えない水平線の向こうに沈み行くとき、彼女は与えられた対の廂に出てゆっくりと
時間の流れを体で感じる。
いつもならば一人で過ごしているが、今日は違った。
気まぐれに泰衡が姿を見せたのだ。
「何を、お考えかな。神子殿は」
「何も」
こんな短い会話ともいえないやり取りの後、二人は言葉を紡ぐことを止めた。
照る夕陽が望美の滑らかな頬や藤色の真っ直ぐな髪を茜に染める様を、泰衡は横目で見る。
幼さのない、すっきりと締まった泰衡の頬や、項でざっくりとまとめた漆黒の髪を夕陽が照らしているのを、
望美は横目で見る。
それだけだった。
「泰衡さんは何を考えているんですか」
「何も」
逆に問い返しても同じ答えが返ってくる。
二人はどこに視線を向けるでなく、南庭に植えられた木々の長い影を数えたり気の早い星がいくつ瞬いているか
数えているだけだった。
気まぐれに吹く風が二人の髪を揺らし、木々の影を宵闇へと変えてゆく。
いつものように漆黒の衣をまとった泰衡は、本当に闇に溶けてゆくようで、薄紅の衣をまとった望美は
闇に浮かんでいるように見えた。
会話は無い。
二人、息を吐いて吸って、隣の気配があることを無意識に確かめて、星を数え、夜が降りてくる時間を感じている。
「・・・・・・何かを願うのは、難しいですね」
「願うのは簡単さ。願いを、実現することが難しい」
「そうですね・・・・・・そうかも、しれませんね」
望美はゆっくりと泰衡の横顔に視線を合わせた。
怜悧な光を宿す美しい双眸、通った鼻筋、薄い唇。
この人はいつでも、この大地を守ることを願いそのために何でもした。
一見、非情で冷酷に思えるその行動の一つ一つはすべて、平泉のひいては奥州のためだ。
京を守る龍の片割れの逆鱗を、だからこそあんな風に扱うことが出来た。
この人の覚悟の深さと強さ、そして薄氷の上を歩く危うさを知ったときからもう――引き返せなかった。
「何かを願っているのか、神子殿」
「一つだけ、願うことはあります」
「そうか」
泰衡はゆっくりと望美に視線を合わせた。
硝子玉のように美しい新緑の双眸、幼さの抜けきらない磁器のような頬、形のいい唇。
薄い双肩に一体何を背負って戦に出生していたのだろうか。
年や姿かたちに似合わない覚悟を時々垣間見た。
仲間を失うことを極端に恐れ、誰も傷つけないためには何でもした。
平泉に鎌倉が大軍で攻め込んだとき、彼女は大社の頂上から深い深い業の中へと自ら飛び込んだ。
この女の覚悟の深さと強さ、そして薄氷の上を歩く危うさを知ったときからもう――惹かれていたのだ。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
こんなとき、何を言えばいいのだろうか。
すべての言葉は機能を失って、ただの音になってしまうというのに。
ゆっくりと、泰衡は望美の頬に手を伸ばす。
望美は触れた手に自分の手を重ねる。
いとおしむように慈しむように、今願うたった一つのことを願って瞼を閉じる。
「・・・・・・望美」
名を何かの厳格な儀式の口上のように確かに言う。
触れた頬の温かさ、重ねられた手の柔らかさを確かに感じて、言いようのない感情が体のどこかからせりあがる。
愛おしいのだろうか、切ないのだろうか。
「泰衡、さん」
呼ばれて、しっかりと目を開けて泰衡の視線と絡める。
透き通った黒い瞳は今、この瞬間だけは自分を見ている。
そのことを確かに理解すると同時に、今まで感じたことも無いようないわく言いがたい感情が体の中心から溢れてくる。
この胸は打ち震えているのだろうか、締め付けられているのだろうか。
絡まりあった視線は互いの距離を次第に埋めていって、極自然な動作で唇を重ね合わせた。
柔らかい。
温かい。
お互いの存在をそうして感じる取る二人の口付けは徐々に深くなってゆく。
漏れる吐息すら逃がさないという泰衡の唇に、望美ただ翻弄されて彼の衣にしがみつくのがやっと。
特別な香を焚き染めているわけではないのに、鼻腔をくすぐる望美の香りに脳髄をかき乱されて、
抑えどころがわからない。
ようやく泰衡が唇を離すと、望美ははあと甘い吐息を一つついて言った。
「願うことは一つだけです」
「・・・・・・?」
望美は静かに笑った。
――この命がある限り、貴方と生きていたい
*fin*
憧れの小説サイト「A Cup of Coffee」のフリーSSをいただいてきました〜!!
じゃん様の書く小説は素敵すぎです。
泰衡さん、かっこよすぎです。
悶え死にます!!