A tree covered...


 見上げれば視界を覆いつくす薄紅。
 天色が小さな隙間から覗いて、世界は淡色。
 奥に行けば小さな社殿、振り返れば色あせた鳥居。
 ここ最近の暖かさのおかげで境内を取り囲むように植えられた桜は満開。
 路地を入ったあまり人の来ない小さな神社は春爛漫だ。


 「こんなところがあるとはな」
 「穴場でしょ?」


 横道に逸れて行ったところに、ぽつんとある神社。
 それを望美が見つけたのもやはりこんな桜の時期だった。
 普段は本当に人目につくことのないここは桜の時期だけ急に存在感を出す。
 大きな桜が何本も植わっているので遠目から見ても綺麗なのだ。
 誘われるように歩いていった先にこの神社を見つけたときは、 こんなところがあったのだとちょっと驚いた。
 染井吉野の薄紅色が、時折風に吹かれて降ってくる。


 「平泉の桜は白かったですよね」
 「あれは山桜だからな」
 「山桜って白いんですか?」
 「ああ。ほとんど色は付かない」


 『春になって戦が終わったら・・・』
 戯れに結んだささやかな約束を泰衡はしっかりと覚えていて。
 多忙な中でどうにか作った時間に二人で行った束稲山。
 あのときの桜は桜なのかと思うほどに無垢な白で。
 泰衡の漆黒の外套に落ちた花びらは雪のようだった。


 「染井吉野の色は江戸彼岸によるものだ」
 「えどひがん?」
 「お前のほうが俺より物を知らなくてどうする」
 「泰衡さんの知識量が特別なんですって!!」


 泰衡が宙を舞う一片をそっと手のひらにのせる。
 その姿は無理も無駄もなくてどこまでも自然体なのに優美だ。
 望美が花弁を手にしようとしたら、こうはいかない。
 風に乗る花弁を追いかけて、子供のようにあちこち走り回ってしまうだろう。
 ふっと息を吹きかけて、泰衡が薄紅の欠片を空に還す。
 ゆっくりと手を下ろしながら望美を見下ろす、その動作も優美。
 思わず見とれてしまうほどに。


 「染井吉野は繁殖しないっていうのは知ってました?」
 「接木でしか増えることができないらしいな」
 「そのうえ寿命も短いんですよ。人工的に作られたもののほうが儚いんです」
 「皮肉だな」
 「それでも、私は桜が好きですよ」
 「何故だ?」
 「だって、一生懸命じゃないですか。子孫は遺せなくても、毎年咲いて実をつけるんです」
 「お前らしい見方だな」
 「今、鼻で笑いましたね?」


 満開の桜は強い風でもない限り散ることはなく。
 咲き始めの頃からの花だけが気まぐれに雫のような花弁を零す。
 散ったあとの萼には紅い小さな実がなるのだろう。
 何本も植わっているのに結局は一人ぼっちでも。
 同じように育って同じように朽ちていくのだとしても。
 毎年変わらず、花が咲く。


 「花は散るのが美しいと言うが」
 「私は満開のときが一番好きです」
 「そう言うだろうと思った」
 「儚いから満開のときがいいんです。散っていく桜って寂しいじゃないですか、置いていかれそうで」


 桜に関する言い伝えは、幻想的で悲しい。
 儚さゆえに寂しさを運ぶ。
 散り際ならば特に。
 桜吹雪は彼の人を異界へと連れて行く扉、取り残された人へ贈られる紅の雨。


 「俺がお前を置いていくとでも?」
 「そんなこと思ってないです!!」
 「お前が俺をここまで連れてきたんだ。責任は取ってくれるんだろう?」
 「・・・・・・それ、女のセリフですよ!」


 見下ろしてくる顔にはからかいの笑み。
 こぼれる黒髪を耳にかける仕草には余裕が見える。
 泰衡の言動は不意打ちが多くて、望美は真っ赤になる顔を隠せないというのに。
 一緒にいるようになって随分経つのに慣れることはなくて、相変わらず心臓に悪い。


 「どこかの誰かが不安そうにしていたからな」
 「・・・・・・むぅ」
 「前にも言っただろう、手放す気はないと。それとも、もうお忘れになってしまわれたかな?」
 「忘れるはずないです!」


 忘れられるはずがない。
 あの日は初めて名前を呼ばれた日でもあるのだから。
 あの日のおかげで今があるといってもいい。
 覚悟を決めろと言った横顔は今でもしっかり刻まれている。


 「なら、馬鹿なことは考えないことだ。俺はお前を逃がすつもりもない」
 「・・・泰衡さんって時々、爆弾発言しますよね」
 「俺の神子殿はそこまで言わないとわからないみたいだからな」
 「私のせいですか!?」


 平日の昼間、しかも路地を入っていった先のここは静かだ。
 二人以外に神社に参拝しに来る人もいない。
 望美は大きな胸に背を預けると、首を反らせて泰衡を見上げる。
 後ろから抱きしめるような体勢で見下ろしてくる黒曜石としっかり目が合った。
 前に回された泰衡の腕に手を重ねると目を合わせたままにっこりと笑う。


 「私は泰衡さんを信じてますよ」
 「当たり前だな」
 「言い切った!?」
 「お前が俺を疑う理由がないと思うが?」
 「しかも、すっごい強気だし!」
 「それで?言いたいことはそうじゃないんだろう」


 春の風は強い。
 満開の桜は風に強いけれど、いつかはきっと花嵐。
 舞い散る花弁は視界を塞いで。
 触れる姿も朧に霞んで。
 それでもきっと信じているから。




















 「桜吹雪で見えなくなっても、この手を離さないでくださいね」
 「愚問だな」




















 微笑う二人の頭上で花は静かに咲き誇っていた。








 

 栄ちゃんの某CMと実体験と想像を足して3で割りました。
 私もお花見したいなぁ。
 出来れば人の少ないところで(笑)


 雪で掠れる広い背中も
 花で乱れる微かな笑みも
 貴方の全てを信じてる


 070326作成