I heard ...


 「ぅん・・・・・・」
 望美は伸びをしながら目を覚ました。
 日は暮れかけていて辺りは橙に染められている。
 随分と眠ってしまっていたらしい。
 木に背を預けた状態で寝ていたせいで、身体が痛い。
 「ようやくお目覚めか」
 氷のような冷たさをまとった声が隣から聞こえた。
 「泰衡さんっ。なんで、ここに!?」




 昼間、望美は高館に一人きりだった。
 することもなく、どうしようもなく暇を持て余し、散歩がてら川まで来たのだ。
 もちろん、一人で外出などしたら譲と朔からお小言をもらうのはわかっていた。
 それでも館の中でじっとしていられないのが望美だ。
 思い立ったら即行動。
 勝手に足が川へと向かっていた。

 かと言って、たどり着いた川でこれといってやりたい事があるわけでもなく。
 初めのうちは、太陽の光をキラキラとはじく流れに素足をつけて楽しんでいたのだが、 それもすぐに飽きてしまった。
 することが無いのなら、さっさと高館に帰ればよいものを。
 それではつまらないと、手近にあった木陰で涼むことに決めた。
 平泉といえども夏は暑い。
 川べりの風が吹く木陰はとても心地よく、望美は睡魔に襲われたのだった。




 そして、今に至る。




 泰衡の不機嫌そうな瞳に射抜かれた望美はわたわたと慌てる。
 そしてふと、自分の上にかけられているものに気付いた。
 黒地に金の藤が描かれた外套。
 それは間違いなく隣に座っている奥州の総領のもの。
 「え?あれっこれ、泰衡さんの?というか、どうしてここに泰衡さんが!?」
 「少し、思考回路をまとめろ」
 冷静で突き放すかのような泰衡の言葉に、深呼吸を一つ。
 とりあえず、最初に浮かんだ疑問から片付けることにした。
 「どうして、ここへ?」
 「お前が高館にいないと八葉どもが大騒ぎだ。おかげで伽羅御所まで騒々しくてかなわん」
 「・・・・・・探してくれたんですか?」
 「仕事にならないから外に赴いたまで。貴女を見つけたのは偶然だ」
 ふいっと顔をそむける仕草はまるで照れ隠しをする子供のようで、くすくすと笑いがこぼれてしまう。
 怪訝そうに泰衡の眉が上がった。
 それには気付かないふりで望美は笑顔で泰衡に礼を言う。
 「ありがとうございました」
 「まったく、見つけてみればぐっすりとお休みになっていらっしゃるのだからな。 自分の立場がわかっておられるか、神子殿?」


 泰衡を救った神子。
 それは一方では賞賛され、もう一方では憎悪された。
 泰衡のかけた圧力によって後者の勢いは随分と削がれていたが、危険な状況にあることは間違いない。
 そんな中で供の一人もつけずに、しかも寝こけているとは殺してくれと言っているようなものだ。
 「ごめんなさ〜い」
 そんな状況を知っているのか、いないのか。
 眉間にしわを寄せた泰衡の嫌味にも望美は動じない。
 魚が跳ねたといって、川へと入っていくのだから強者だ。
 その姿を見て泰衡はため息をつく。
 春以来、ため息が増えたと思う。
 とくに神子と関わっているときに。
 それが嘆息なのか、諦めなのか、受け入れなのか、自分でも判別がつかない。


 「水、冷た〜い!!」
 素足で川を走りはしゃぐ姿は、年相応かそれ以下のただの少女だ。
 えいっ、と水をかけてきたりするのだから、たまったものではない。
 あのはしゃぎようでは足を滑らせるだろうと思った泰衡が声をかけようとした瞬間。



   バシャン、と大きな水音が上がった。



 「痛たた・・・・・・」
 深みに足をとられ、すっ転んだ望美は川の中で座り込んでいた。
 立ち上がろうとするのだが足首を捻ったらしく、痛みでうまくいかない。
 おまけに、足元は滑り、着物は水を吸って重く、バランスが取れないのだ。
 バシャバシャと水を分けて、こちらに向かってくる足音。
 「貴女という人は・・・」
 「ごめんなさい」
 見下ろしてくる泰衡に、今度ばかりは望美もうなだれてしまう。
 「足を痛めたか」
 「え?」
 「大人しくしていろ」
 その言葉に、望美は泰衡が包帯か何かで足首を固定してくれるものだと思った。
 けれど泰衡はびしょ濡れの望美の身体を漆黒の外套でくるんで抱きかかえる。
 背中と膝の裏の二ヵ所に腕で支えられたその格好はまさしく。

 お姫様抱っこ

 「なっ。ちょっ。泰衡さっ。え、え〜〜〜っ!!!」
 同い年の幼なじみにさえされたことの無いその体勢に望美は大暴れ。
 胸の前で暴れられる泰衡は歩きにくいことこの上ない。
 「大人しくしていろ、という言葉が聞こえなかったか?」
 「だっ・・・だって!!」
 「歩けないのならば、じっとしていろ」
 冷静な正論、しかも自分の身を案じてのものとあっては、望美はぐうの音も出ない。
 ようやく大人しくなった望美を抱えなおすと、泰衡は近くに留めておいた馬のところまで歩いていく。


 「私が起きるまで、どのくらい待ちました?」
 「俺がそんなに暇そうに見えると?」
 「見えないから聞いてるんです」
 「そんなに待ってはいないさ。あれ以上寝ておられるようなら、叩き起こしただろうがな」
 つまりそれは、時間ギリギリまで待ってくれていたということで。
 この人はこんなにも優しくて、こんなにも不器用だ。
 優しいといえば、そんなことは無いとにべもなく。
 不器用だといえば、眉間のしわを深くして。
 この人はそういう人だ。
 ・・・・・・だから、惹かれたのかもしれない。
 消えゆく命を助けたいと思うほどに。
 これから先もそばにいたいと願うほどに。


 「どうかなさったか?」
 不意に口をつぐんだ望美をいぶかしんだ泰衡が声をかける。
 けれど望美は何もないというように首を横にふり、泰衡の胸に頭をうずめるだけ。
 いつまで一緒にいられる?なんて聞けるはずもない。
 五行が正しくめぐる今、白龍の力の回復は早い。
 元の世界に帰りたくないと言ったらこの人はどうするだろう?
 自分には関係ないと言うだろうか。
 それともやはり帰れと言うのだろうか。
 一緒に過ごせる時間が減っていく。
 それがとても怖かった。
 「神子殿」
 望美の不安を感じ取ったのか、泰衡の声はやわらかい。
 それでも望美は顔を上げなかった。
 泣きそうになっている顔を見られたくなかったのだ。
 「顔を上げろ」
 「嫌です」
 今、泰衡の顔を見たらきっと泣き出してしまう。
 そんな自分は嫌だった。








 「望美」








 望美は、はっと顔を上げる。
 耳元で囁く声は自分の『名』を呼ぶもの。
 驚いて目を見開いていると耳朶に直接声を吹き込まれた。




 「俺は貴女を手放す気はさらさら無い。覚悟されることだ」




 泰衡の顔に浮かぶのは絶対の自信からくる不敵な笑顔。
 先程とは真逆の理由で涙がこぼれ落ちるのを、望美は止められなかった。








  

 いつもいつも熱いメッセをくださる十夜様に(勝手に)捧げます。
 お祝いですvv良かったら持ち帰ってやってください(十夜様限定)


 さてさて、望美ちゃんが平泉残留か。
 はたまた、泰衡さんを現代持ち帰りか。
 皆さんはどっちが良いですか?(笑)


 060709作成