As the dusk gathers...
紅が咲く。
咲き乱れるのではなく、ぽつぽつと灯りをともすようにあちこちに。
道の脇、山のふもと、野原の片隅、森の入り口、田んぼのあぜ、墓の横。
蝋燭の炎のように、飛び散った血液のように、そこらじゅうにぽつぽつと。
陽が傾いて橙から薄蒼、薄紫へと変わっていく空気の中で鮮やかに紅色が主張する。
自分は此処だと、死人は此処だと、魂は此処だと、此処で待っている、と。
「何を見ている?」
逢魔が時の薄蒼と薄紫と群青の混じった空の下、後ろからかかるのは黒尽くめの男の声。
何を、と言われても視界に入るもので目を引くものなど一つしかない。
禍々しいほどに鮮やかな紅の上向いた花弁。
未だ緑を多く残す庭の隅に、ひっそりと駆逐されずに咲いた一輪の花。
「花を見てます」
「死人花か」
「彼岸花、とか言えませんか?」
「どうせ、見ているものは同じだろう」
「そう、ですね」
動脈から噴き出して止まることの無い鮮血の様な紅が揺り起こすのは晩夏の記憶。
空と海の青、三本の刀の白、纏う鎧の金、乱れる髪の紫、満足そうな笑顔。
心の底でじわじわと未だ塞がることを知らない傷。
嫌いだったわけじゃない、恨んでいたわけじゃない、憎んでいたわけじゃない、殺したかったわけじゃない。
何を言っても、どうせ今更。
忘却を、抹消を、焼却を許さない記憶は時折浮いて傷を付ける。
針のように細く、鋭く、深く。
流れる血液は少量で、けれど治りはすこぶる悪く、いつまで経ってもじくじくと。
「事実は変わらない」
「わかってます」
「その先をお前は選んだのだろう」
「そうですよ」
「ならば、いつまでそうしているつもりだ」
「っ・・・!」
わかっている、わかっている、わかっている。
起こった事実は変わらない、死んだ人間は戻らない、知盛はもう何処にもいない、そんなことは痛いほど。
けれど、他にどうすればいい?
夕闇に映える紅は、着物の裏地、平家の旗、鎧の草摺、戦の彩り、狂気の色。
染み付いて、こびり付いて、焼き付いて、離れない。
「何が・・・。何がわかるっていうんですか、あなたに!」
知盛はいない。
何処にも。
殺したから、この手で。
失ったのは自分の選択。
殺すか、殺されるかの二択で選び取った答え。
後悔はしていない。
死ぬわけにはいかなかったから。
けれど、もしかしたら、と思う。
自分にもっと力があれば、もしかしたら他の選択肢があったかもしれない。
死にゆく知盛を引き止められるような、不敵な笑みを留められるような。
・・・・・・力があれば。
「わからないさ。貴女が俺を理解できないようにな」
「・・・・・・」
「死んでいった者のことなら尚更、誰かにわかるはずがない。そんなものだ、人間など」
「知ってますよ、それくらい!」
それでも、どうして望まずにいられるだろう。
傷付いた赤が華になるほど、散った赤が残像になるほど、強烈に心を穿たれたのに。
怜悧で拒絶しか知らない黒は、その他者への無関心が、対する慇懃な態度が、鮮烈で生々しい赤に似ている。
見た目は全く違うのに、仕草や声音や表面に出るものも全く似ていないのに。
本質が似ていて、痛い。
「他人の理解など不可能だ。同じように、人は自分以外の誰かにはなれない。・・・他人の空似だ、俺も、銀も」
「どう、して・・・?」
「気付かないとでもお思いか?そんなに遠い目をして」
「・・・そんな顔をしていましたか?」
「していたさ」
「そうですか」
冷静で観察眼の鋭いこの男が言うのだから間違いは無いのだろう。
泰衡も銀も知盛を思い出すには十分過ぎるほどの条件を備えていて、 抑えつけようとしても溢れてきて止まらなかった。
苦しくて、切なくて、悲しくて、傷が塞がらずに血が止まらない。
恋愛感情では無いのに。
「どうせ、すぐに散る」
「え?」
「この花は長くは持たない」
「・・・寂しいですね」
「不吉な名ばかりを持つ花だ。長く咲かれても迷惑だろう」
「それでも、こんなに綺麗なのに」
「墓の近くに咲く深紅の花。お誂え向き過ぎて、いっそ嫌味だな。すぐに散らなければ心を乱すだけだ」
「すぐに散るから平穏を保てる?」
「花の時期に一瞬だけ思い出す。その程度で十分だろう。囚われていては先へ進めない」
群青が強く闇が迫る空の下、漆黒を纏う泰衡の黒水晶の視線の先はわからない。
紅い花を通して何を見ているのか、はかり知ることができない。
泰衡の強さはそこにあるのかもしれない。
何者の侵食も許さない黒を纏い、他者を寄せ付けず、切り捨て、割り切り、前だけを見て。
「私はあなたほど強くない。そんなふうには割り切れない」
「けれど、割り切らねば守れない。それに貴女が弱くてはこちらが困るのだよ、白龍の神子殿?」
「なっ・・・!!」
「貴女は強くなる、俺の思惑通りに。守るべきものを守るために、な」
思わず睨みつけるように見上げた視線の先、泰衡の瞳は何の感情も示さない。
次第に濃くなっていく闇に溶けて、泰衡の輪郭がはっきりしない。
曖昧にぼやけて声だけがすぐ近くから深い地の底から響いてくるようだ。
秋特有の冷たい風がふいて闇を揺らす。
嬲られた鴇色の髪と散ることなく風に身を任せる紅い花だけが闇の中で色づいていた。
「そろそろ高館に戻られた方が良いだろう。八葉たちも騒ぎ出すはずだ」
「一つだけ、聞いても良いですか?」
「答えられることならな」
「・・・どれくらいのものを切り捨ててきたんですか?」
「さぁ。そんなことをいちいち覚えてなどいられないのでな」
金の下がり藤が描かれた外套が翻る。
闇に吸い込まれるように消えていく泰衡の姿は凛然として迷い無く、 背負う者の背中を突きつけられた気分だった。
いつか、あんなふうになれるのだろうか。
背負うものが、守りたいものがある。
誰かと敵対しても、誰かを傷つけても、・・・殺してしまうことになっても。
切り捨てるなんてことは出来ない、傷も血も涙も全部抱えて歩かなければいけない。
それでも、いつかはあんなふうに凛と立てるだろうか。
「強くなる、か・・・」
誰もいなくなった夜の庭で鮮血の紅がひっそりと揺れた。
泰衡との馴れ初め(?)でした。
「ただ、願うのは」で何でチモの名前が出てきたのか、の解決編。
やっぱり裏熊野の経験があった以上、チモは望美の中で大きな存在なんですよ。 えぇ、明月がチモファンだからなわけではありません。決して!!!
染み付いた紅は疼痛
遊離する漆黒は覚悟
血を流しながらも先へ
061014作成