Tint him darkness ...


 世界は今日も平和だ。
 あの晴れ渡った真っ青な空のように。
 どこまでものどかで、どこまでも穏やかで。
 けれどその裏では熾烈な駆け引きが行われていることを、平泉の民は知らない。
 知っているのは政に関わる者たちだけだ。
 冬にあった鎌倉との戦は和議を結んで、片がついたかのように見える。
 しかし、鎌倉方からの圧力は未だにやむことがない。
 特に源九郎義経の処遇について。
 もっとも、先の戦で北条政子が捕らえられたという苦い経験があるため強く出てくることは無いが。


 「だから、俺が平泉から出て行けば済むことだろうが!!」
 「その件について、話すことはない。くだらないと前にも言ったが?」
 「泰衡っ!!」
 「平泉から出てどうする。京にでもいて鎌倉にむざむざ暗殺されてやると? それこそ、あちらの思うつぼだな」
 「それは・・・・・・」
 「そんなことを言ってる暇があるなら、さっさと仕事を片付けろ。 手伝うと言って、俺一人のときより時間がかかるようでは意味がない」
 「・・・っ!!」
 言い方に棘があるとはいえ、泰衡の言うことは筋が通っていて正しい。
 それゆえに九郎はさがるしかない。
 伽羅御所ではこんな光景がもう一週間以上続いていた。

 九郎がいなくなった部屋で泰衡は一人ため息をつく。
 執務室であるそこは相変わらず物が少ない。
 光。救い。浄土。
 そういったものを拒む主をあらわすかのように暗く静謐な空気が流れていた。


 「また、九郎さんと言い争ってたんですか?」
 「邪魔だから高館で大人しくしていろと言わなかったか、神子殿?」
 いつの間にやら部屋の入り口に立っている望美に泰衡はこたえる。
 その視線は机上の書物に向けられたままだ。
 そんな態度はもういつものことで。
 臆することもなく、望美は泰衡の隣にちょこんと座る。
 「今日は大事なお話があって来たんです」
 いつになく真剣な望美の様子に泰衡は顔を上げた。
 その目の下にはうっすらと隈がある。
 彼が言っていた通りだ。
 「最近、ちゃんと寝てますか?」
 「・・・・・・くだらない」
 それだけ言うと泰衡は視線を書物へと戻す。
 「くだらなくないです!」
 「寝ているさ。それなりにな」
 「嘘!夜遅くまで書面とにらめっこしてるくせに。ちゃんと知ってるんですから!」
 夜は高館で八葉たちと過ごしている望美が、そんなことを知っているはずがない。
 誰かが教えなければ。
 告げ口をした者に瞬時に思い当たると、泰衡は隣の間で控えている男に声をかける。
 「銀。お前の主はいつから神子殿になった?」
 「申し訳ありません。しかし泰衡様、神子様の言うとおりお休みになられたほうがよろしいかと」
 「・・・・・・駄犬め」
 「泰衡さんっ!!心配してる銀になんてこと!!!」
 あまりにもひどい泰衡の言い草に望美はいきり立つ。
 だが、当の泰衡はどこ吹く風だ。
 自分の所有物に何を言おうと構わないだろうという態度がありありと見える。

 「それで?」
 翠色の鋭い視線を気にもかけず、泰衡が問う。
 「え?」
 「それで、神子殿は俺にどうしろと?」
 「決まってるじゃないですか。ちゃんと寝てください!」
 今までの会話の流れからすれば聞くまでもないことだ。
 ここでようやく泰衡は望美のほうを見た。
 黒曜石の瞳は暗く、深く、全てを隠すようなのにひどく透きとおっている。
 まるで、ありのままの自分を映す鏡だ。
 目をそらしていたい物まで見えてしまいそうで、怖い。
 けれど、その奈落のような深さに引きずり込まれて目が離せないのだ。
 そんな事実をきっと泰衡は知らない。
 「貴女と話す時間さえ、ろくに取れない俺に眠れと?」
 「なっ・・・・・・!?」
 それは裏返してみれば『話す時間が欲しい』ということ。
 泰衡の言葉は素直じゃない。
 だが、その内容は朱雀の二人にも引けを取らないことが多くて。
 望美は翻弄されっぱなしだ。
 これが年の差だというなら、少し悔しい。
 「大体、俺が眠ったら誰が仕事を片付ける?」
 「それは・・・・・・。私が、私がやります!」
 「貴女が・・・?お戯れもその程度にしておいてもらおうか」
 望美が文字の読み書きに不慣れなのは周知の事実だ。
 そんなことは望美本人だってよくわかっている。
 けれど心配なのだ。
 泰衡はいつだって無理をしていて、いつか倒れてしまうんじゃないかと。
 「だけど。少しくらい休んでくれたって良いじゃないですか!!」
 「しつこい」
 「しつこくないです。休んでください!」
 「そんな暇は無いと言っている」
 「全部一人で背負おうとするからじゃないですか!!」
 「他の誰かに出来るとも思えないな」
 このままでは埒があかない。
 というよりも、泰衡のペースに持っていかれること間違いない。

 「・・・ああ、もう!!四の五の言ってないでさっさと寝るんです!!!」
 「神子殿!?」
 望美に強く引っ張られて、泰衡の上半身がそちらに倒れる。
 板間にぶつかると思った頭は何の衝撃もなく、気がつくと望美の膝の上だった。
 上から大きな翠玉が満足そうに見下ろす。
 膝枕をされている。
 自分の状態を理解した泰衡は身体を起こそうとした。
 しかし、望美は袖のすそを掴んで放そうとしない。
 「放してもらおうか」
 「ダメです」
 にっこりと勝者の笑み。
 無理やり起き上がることは容易いが。
 それをしたら、望美は傷ついた瞳をするのだろう。
 そんな望美を見たくない。
 ただそれだけのことで大人しくなってしまう自分はもう末期だな、と泰衡は思う。
 胡坐をかいたままの足をくずし、仰向けになる。
 「・・・・・・少しだけだ。夕刻には起こしてもらおうか」
 まっすぐに視線を合わせて不機嫌そうに泰衡が言うと、望美は満面の笑みを浮かべて頷く。
 いつの間にか、隣の間にいた銀は部屋を辞していた。




 周りから切り取られたように静かな部屋には、いつの間にか泰衡の寝息。
 思っていたよりもずっと早く眠りに落ちた泰衡を望美だけが見ている。
 「寝てると眉間のシワ取れるんだ」
 普段よりも幼く見える、おそらく年相応の寝顔。
 確かに九郎と同い年なのだろう。
 そんな顔。
 「『可愛い』は失礼だよね」
 思いつつも、くすくすと笑ってしまう。
 こんなに安らいだ泰衡を見るのは初めてだ。
 鎌倉とのごたごたが嘘のような穏やかな時間。
 膝にかかる重みを感じながら、さらさらの黒髪を撫でながら、望美は思う。
 許しも、救いも、浄土も。
 自分に安寧を与えるもの全てを泰衡は拒む。
 差し伸べられる手を全て振り払って、ただ一人暗闇に立っている。
 それはきっと変えられない。
 変えるということは、今の泰衡を否定することだから。
 望美がどれだけ光を与えようとしても、泰衡は受け取りはしないだろう。
 なら、せめて。
 暗闇で咲く花になりたい。
 泰衡の隣で彼を彩る、そんな花になりたいと思う。
 「ねぇ、これはワガママですか?」
 泰衡はぐっすりと眠っている。
 返事は、ない。
 だから望美は起こさないようにそっと泰衡のおでこにキスをする。
 「貴方以外のために咲く気はないんです」
 相手が寝ているから言える。
 望美の最大限の告白。





 「枯らさないようにしなければならないな」






 黒曜石の鏡がまっすぐに望美を映していた。








 

 眠ったふりして乙女の独り言を聞くなんて、タチが悪いですね(笑)
 大人なんて、卑怯な生き物です。
 泰衡さんなら特にです(酷)


 暗闇を望む貴方が
 呑まれてしまうことのないように
 光ではなく色をあげよう


 060802作成