Touch of your...
「何をしている?」
「結ってます」
「そんなことを聞いているわけではないんだが?」
花々が咲き乱れ、新緑が大地を覆う春。
そんな季節も過ぎて、日差しが厳しく木々の緑が目にも鮮やかになってきたある日。
望美は伽羅御所の執務室にいた。
部屋には仕事をしていた泰衡と、いきなり飛び込んできた望美の二人きり。
何をしに来た、と泰衡が問うても望美はあいまいに言葉を濁すばかり。
少しの間、沈黙が部屋に満ちる。
部屋の中は、外があんなにも晴れ渡って明るいというのに暗く、必要最低限の調度しかなく、 泰衡という人物を如実に表していた。
「邪魔をしに来たなら帰れ」
それだけを言うと泰衡はくるりと望美に背を向ける。
望美の目の前には泰衡の黒く長い髪。
泰衡の髪は枝毛一つない。
うらやましいほど綺麗だ。
望美の髪はどれだけ手入れをしたって、あれほど綺麗にはならない。
それなのに、泰衡は手入れなどしたことがないと言う。
妬ましいことこの上ない。
だから、ついいじってみたくなるのだ。
そっと望美は目の前の漆黒に手を伸ばす。
「神子殿?」
「泰衡さんの髪って見た目どおり細くってやわらかいですね」
嬉しそうに楽しそうに言うものだから、泰衡はそれ以上何も言えない。
やめろとか仕事の邪魔だとかいくらでも言うことはできるはずなのだが。
どうも、目の前の少女といると調子が狂う。
それも悪くない、などと思ってしまうのだから重症だ。
望美は泰衡の髪をくしけずる。
さらさらと一度も絡むことなく流れる髪。
本当にうらやましい。
突然、思いついたように望美の櫛の入れ方が変わった。
先程まではただ梳いていただけだったのが、髪をひとまとめにしようとする。
しかも、まとめる位置がずいぶんと高い。
九郎と同じくらいの高さだろうか?
「何をしている?」
「結ってます」
「そんなことを聞いているわけではないんだが?」
「だって泰衡さんの髪型、暑そうです」
蝉がもうすぐ鳴き始めるであろう季節に、ゆるく束ねただけの髪型は暑苦しい。
上から下まで黒に包まれた泰衡ならなおのことだ。
頭、動かさないでくださいという望美の言葉を無視することもできるのに、 なぜか泰衡はされるがままだ。
あきらめにも似た小さなため息が聞こえた。
「泰衡様、書が届いて・・・」
連絡にやってきた郎党は目を剥いた。
厳格かつ冷酷な主の髪を、神子が楽しそうにいじっているのだから無理もない。
しかも、泰衡はそれを許容している。
天変地異が起こると言われても信じてしまいそうな光景だった。
「その辺に置いておけ。あとで読む」
ゆっくりと首を郎党のほうに向けながら泰衡が言う。
その表情は常よりも少し和らいで見えた。
「それと、しばらく人払いをしておけ」
「仰せのままに」
春からこちら少し泰衡の態度がやわらかくなったのは、やはり神子のおかげなのだろう。
部屋を辞しながら郎党は思った。
「泰衡さん、人払いって・・・」
「貴女がいては仕事にならないだろう?」
目をぱちくりさせたあと、ゆっくりと望美は笑顔になった。
泰衡の了承をとったので束ねた髪を結い紐で結び始める。
慣れない手つきで、けれど紐がすべり落ちないように丁寧にくくっていく。
「できました!」
望美は満足そうな笑みを浮かべた。
泰衡の髪は頭頂よりも少し低い位置で一つに束ねられ、いわゆるポニーテールにされている。
九郎と同じ髪型なのに、よっぽど落ち着いて見えるのはその人間性ゆえだろう。
「ほどいちゃダメですからね」
そう言って望美はいたずらっ子のように笑う。
幼い笑顔がよく似合うこの少女が、戦の先陣にいた戦神子だと誰にわかるだろう?
けれど剣を持てば、持ち前の素早さと男顔負けの剣技で怨霊も武士も倒してしまう。
そのことを短い時間の間に泰衡は理解していた。
「櫛を貸してもらおうか?あと、むこうを向いていろ」
そう言って泰衡が体ごと振り返る。
「はい?」
「やられっぱなしは気に入らないからな」
今度は逆に泰衡が望美の髪をとかし始める。
その手つきは思うよりもずっと優しかった。
誰かに櫛をかけてもらうのは久しぶりなので、なんだかこそばゆい。
動くなと泰衡が言うのだが、梳かれる感覚がくすぐったくてついクスクスと笑ってしまう。
「変な髪形になるぞ?」
「それは嫌です」
「なら、大人しくしているんだな」
「はぁい」
泰衡は望美と違い器用に髪を束ねていく。
鴇色の髪が高く持ち上げられて、あっという間に結い終わってしまった。
「おそろいですね」
結ばれた髪に触れながら、照れくさそうに望美が笑う。
その姿もあどけなさを残している。
本当に子供だ。
そう思うのに、魅かれているなんて愚かにも程がある。
いつの間にこんなに毒されたのだろう。
死にゆく己を引き戻されたときか。
泣きながら抱きつかれたあのときか
「まったく、本当に・・・」
「何か言いました?」
「いや・・・・・・」
用が済んだならさっさと戻れと言って、泰衡はまた机に向かう。
自分でやったこととはいえ、あの髪型は白いうなじが目立つのだ。
相手は五つも年下の少女だというのに。
本当にどうかしている。
「もう少し、ここにいちゃダメですか?」
甘えるように望美が言う。
自分がどれだけ危険なことを言っているのか、全くわかっていないのだろう。
その分、タチが悪い。
「貴女はもう少し警戒心を持ったほうがよろしいようだ」
そう言うなり、泰衡はきょとんとしている望美の首筋に口付けた。
赤い痕が残るようにきつく吸い上げる。
「やっ、泰衡さん!?」
「男と二人きりだという状況をもう少し考えるんだな」
次はそれだけでは済まないと言外に含ませて、皮肉げに泰衡が笑う。
対する望美は顔を真っ赤にして首筋を押さえているだけだ。言葉も出てこない。
泰衡が望美の髪をほどく。
ただそれだけのことで、肩がビクリとふるえた。
「下ろしていれば、誰かに見られることもないだろう」
「そういうっ。問題ですかっ!」
「これ以上何かされたくないなら、出て行くことだな」
「泰衡さんのバカ!!!」
髪が乱れないように首元で押さえながら望美は部屋を駆け出した。
一人、部屋に残った泰衡はふっと笑う。
あんな子供相手に抑えられなくなるとは思わなかった。
しかも、それが心地良いなどと。
「どこまで侵食してくるつもりなんだろうな、神子殿?」
なんで泰望はこんなに甘くなるんだろう。
書きながら砂吐いてますよ。
誰か助けて。
ってか、泰衡がおかしい。絶対におかしい。
侵食されているのは自分か、相手か。
互いに喰いあっていたのかもしれない。
足りない何かを求めるように。
060628作成