Endless cycle of...


 「貴女はそれほどに恵まれているのか」


 盆の窪に大きな氷塊を当てられたようだった。
 あるいは、脳髄に火箸を突き刺されたようだったのかもしれない。
 衝撃が大きすぎて、息をするのを一瞬忘れてしまった。
 そのくせ、周りのことへの意識はやたらと澄んでいて。
 回避不能な危険が迫ったときの一瞬のことがコマ送りされる感覚。
 目の前の男の唇が、冬の風にしなる木々が、坂道を転げていく小石が、酷く緩慢に動いているように映る。
 けれどそれも一瞬のこと。
 瞬きの一つで世界はいつもの姿を取り戻す。
 男の長く美しい髪の靡き方も、男の隣で主の命令を待つ金の姿も、対峙する自分の立ち位置も。
 変わりはしない、何も、何一つ、記憶からずれたりはしない。
 今言われた台詞だって、もう何回も聞いた。
 ここまで来てしまえば、後はどんな選択をしたって言われることはわかっていたのに。
 それなのに。
 ぎり、と噛み締めた奥の歯が鳴る。


 「切り捨てれば守れるのに、まだ何か足りないの?」


 顔を上げれば男の驚いたような顔。
 睨みつける私の顔は多分ひどいものだ。
 冷めて凍り付いているように見えて紅蓮の劫火が荒れ狂っている。
 わかっている、わかっている。
 こんなのはただの八つ当たりだ。
 私があの人を手に入れられないことと、この人が大切なものを守りきることは全然別物。
 この人が払ってきた代価を思えば、これから起こる結果は当然の褒賞。
 そのためだけに色んなものを切り捨てて、今だって一人の部下を犠牲にしたのだから。
 だけど、それでも。


 「全て切り捨てても手に入らないものもあるでしょう?」


 そう、あの人は何をやったって手に入ったりはしなかった。
 どんなに手を伸ばしたって、自分の命と引き換えにしたって、源氏の皆を切り捨てたって。
 簡単に指の隙間から零れ落ちていった。
 何度も何度も繰り返して未だに見慣れないあの光景。
 それを目の前の男は知らない。
 彼が切り捨てることで感じてきた痛みを私が知らないように、彼だって繰り返す私の痛みを知らない。
 本当に恵まれているかどうかなんてわかるはずがない。


 「それだけまわりに揃っていて、それでもまだ足りないと?」
 「あなたと違って本当に欲しいものだけは何処にも無いから」
 「本当に欲しいもの・・・?」
 「そう、あなたが多くの犠牲を払ってでも平泉と九郎さんを守りたいように。私にもたった一つ、欲しいものがあった」
 「あった・・・。過去形か」
 「だって、もう何処を探してもいない」


 いるわけがない。
 この手で殺したのだから。
 何度も巡った運命で、何度も繰り返した光景をまた。
 ただ、それだけのこと。
 狂おしいほどに望んでいて、けれど諦めかけている、いつか。
 そのためにまた繰り返す。
 何回だって、きっと。
 その事実を目の前の男は知らない。
 繰り返す時間の中で記憶を持っているのは私だけ。
 それが当たり前。
 どんなに懐かしいと切ないと愛しいと思っても想いは一方通行。
 そんなことは繰り返すと決めたあの時に覚悟した。
 覚悟した、はずなのに。


 「あなたは守りきれるよ」
 「・・・・・・?」
 「このまま進めば、あなたはあなたの守りたいものを守りきれる」
 「何を言っている?」
 「決まっていることだから。だから、私はあなたが羨ましいのかもしれない」


 何を話しているのだろう。
 こんなこと、他人に話したって仕方がないのに。
 何も変わらないし、救えないし、巻き込むだけなのに。
 私はただ、銀まで死なせるわけにいかないからここにいるだけ。
 生きた人形のようになった彼をそのまま放っておけなかっただけ。
 相思鼠の髪を揺らして、後悔なんて欠片も感じさせずに崖の下に落ちていった彼は。
 それでも、この先で生きていると知っているから。
 真っ暗で底の見えない奈落。
 統べる者によく似た冷え切った地面。
 時折り吹いてくる風は身を切るよう。
 それでも、この先で銀はボロボロに傷付きながらも息をしている。
 だからあとは朝を待てばいい。
 男の衣と同じ漆黒の夜も、永遠には続かない。
 もう少しで空が白み始める。


 「貴女が欲しているのは、かの平家の武将か?」
 「・・・さすがに知られてるんだね」
 「敵なのに、か。それとも敵だから、か?」
 「どうなのかな。ただ、あんなに鮮やかな男はあの人以外にいなかったから。だから、あのままの彼が欲しい」
 「そうか・・・」
 「本当に、変なの。こんなことを話してもお互いに何もならないのに」
 「夜が明けるまでの茶番だ。貴女はこの先を知っているのだろう?銀がどうなっているのかも。 そして、俺に従う気はさらさら無い。違うか?」
 「違わないよ。朝が来て、そのときになったら。私はあなたに剣を向ける。銀まで死なせてしまう気は無いから」


 西海に沈んだあの人と銀はまったくの別人だけど。
 だからといって見捨ててしまうには、あまりにも。相貌が、声が、似すぎていて。
 こんなところまで来てしまう。
 壇ノ浦で引き返せば良いのにと、そう思う自分も確かにいるのに。
 浮かぶ淡い秘色では足りないのに。


 「それでも貴女は助けた銀の傍にはいないのだろう」
 「・・・・・・そうだね」
 「繰り返すその先はあるのか?」
 「どうだろう。無いかもしれないけど、諦めきれないから」
 「愚かだな」
 「お互い様だよ」


 大切だと思うがゆえに、守ろうと思うがゆえに。
 冷酷な手段で、横暴な方法で。
 権力を手に入れて、本人を遠ざけて。
 きっと、しこりが残る。元通りには戻らない。
 隣には立てない。
 そんな道しかこの男は選べない。


 「きっと、不器用なとこばっかり似てるんだよ。私とあなたは」
 「そうかもしれないな。だが」
 「他の道なんか何処にも無い」
 「あぁ」


 東の空がゆっくりと下のほうから白み始める。
 鴉羽の景色がだんだんと白銀を取り戻す。
 崖下は、秘色は、見えない。
 それでも不安は欠片も無く、あるのは確信と諦め。
 この先が変わっているのなら、あの人の死も変えられるのになんて残酷な想い。


 「行くか」
 「そうだね」


 早く終わらせてしまおう。
 早くあの夏に帰ろう。
 あの人が待つ、熊野の夏に。





 目の前の黒に縋りつきたいなんていう感情は知らない。








 

 「ひぐらし〜」黒梨花さま風な泰望でしたvv
 だから、どうして久しぶりの更新に限って甘くならないのか。
 そして、どうしてこうも銀の扱いが悪いのか。
 ちなみにこの望美さん、泰衡EDに突入らしいです。
 本当に救われない・・・・・・


 救えない
 変わらない
 だから繰り返しながらも人肌が恋しいんだ


 070809作成