I wish only...


 『・・・・・・』
 声がした気がしたのだ。ここにはいないあの人の。








 平泉にも遅い春が来て、緑は芽吹き、花々が鮮やかな色を添える。
 よく晴れた、うららかな日に望美と将臣、譲の3人は元の世界へと帰ることになった。
 無量光院には八葉と朔と白龍、それに銀。
 いないのは地の白虎、梶原景時と奥州を統べる男、藤原泰衡。
 景時が来れるはずはない。
 奥州と鎌倉はついこの間まで戦をしていたのだから。
 それは寂しいことだったが仕方のないことだった。
 そしてもう一人の方はといえば。
 こちらは来る気など元よりないだろう。
 望美と泰衡は仲が良かったわけではない。むしろ悪かった。
 一方的に避けられていたというのが正しいか。
 嫌われていたわけではないだろう。
 ただ、泰衡は人を自分に寄せ付けなかった。
 確たる一線を引かなければ他人と関係を持つことをしなかった。


 「来ないな・・・」
 今にも舌打ちをしそうな九郎の呟き。
 すぐに誰のことを言っているのか理解した望美は小さな苦笑をこぼす。
 「泰衡さんですか?」
 「あぁ、場所は伝えたんだが・・・」
 来ないだろうということは九郎にもわかっていた。
 けれど微かに期待してもいたのだ、もしかしたらと。
 周りが思うほどに泰衡は冷たい男ではない。
 幼少をともに過ごした九郎は誰よりもそれを知っていた。




 『・・・・・・』




 ぱっと望美が顔を上げる。
 その視線は中空を見据えていた。あるいは遠い何処かか。
 「今、声がしませんでしたか?」
 誰にともなく問う。
 けれどその視線は、今も此処ではない場所を彷徨っていた。
 「誰の声もしないぜ?」
 周りを見回しながら将臣が言う。
 いまさら怨霊がいるはずもないが、気を研ぎ澄ませる。
 他の八葉たちもそれぞれ周囲に気を配る。
 けれども怪しい気配はどこにもない。
 『・・・・・・う』
 聞き覚えのある声。
 脳裏に浮かんだのは漆黒の衣を纏い、同じ色の髪と瞳を持つ男の姿だった。
 それと同時に、望美は声が自分を呼んでいるのではないことに気付く。
 『九郎』とその声は呼んでいた。

 望美は九郎の手を取って走り出した。
 近くにいるはずだ。
 何故かはわからないが、それだけは確かだと思った。
 「望美っ!?」
 引っ張られる形になった九郎は非難の声を上げる。
 けれど、立ち止まって説明をしている暇はなかった。
 「いいから、ついて来てください!」
 「何があったんだ!?」
 「呼んでる。声が小さくなってく!!」
 「誰の声だ!」
 「泰衡さん!!!」
 それを聞くや否や、九郎が望美を引っ張る格好になった。
 高館からここまで来るのに使った馬にヒラリと飛び乗ると望美を前に乗せ、走らせた。
 すぐ後ろには銀。そのあとからは他の仲間たちがついてくる。
 「どっちだ?」
 「んっと・・・あっち!!」
 今にも消えそうな声のするほうを望美は指差す。
 何があったかはわからない。
 けれど尋常ではない事態が起きているのは間違いなくて。
 望美はギュッと目を閉じ、どうか間に合うようにとそれだけを祈っていた。



 木にもたれるように座っている泰衡は遠目からだと寝ているようにも見えて。
 けれど近づいてみると腹部に大きな刀傷があるのがわかった。
 顔色がひどく悪い。出血量が半端ではないのだ。
 名を呼ぶ声が自然、叫び声のようになる。
 「泰衡!!」
 「泰衡さん!!」

 幻聴かと思った。
 聞こえてくる声は、幼なじみとその連れの神子のもの。
 今は二人とも無量光院にいるはずだ。
 けれども何度も何度もしつこく自分を呼ぶ声は間違いなく二人のもので。
 泰衡はゆるゆると重いまぶたを上げた。

 泰衡の目が開いた途端、望美の頬をポタポタと涙が伝う。
 「何故・・・泣く?」
 そう言いながら泰衡は望美に手を伸ばす。
 ビクリと望美の肩が揺れた。
 どうしてこんな時に知盛と同じことを言うのだろう。
 この人は知盛を知らないはずなのに。
 また、失ってしまうのだろうか。そんな不安が望美の心によぎった。


 「誰がこんなことを・・・」
 「俺には似合いの罰だろう?・・・父親殺しには」
 「お前!?」
 「気付いていただろう、弁慶?」
 「えぇ・・・。あんな傷を付けられるのは、銀殿の方天戟以外にありませんでしたから」
 「そんな・・・!なぜ、そんなことを!!」
 「九郎が知る必要はない」


 今にも死にそうだというのに常の己と変わらない態度。
 それがまた望美の不安を煽る。
 全て受け入れて、嗤って。これでは本当に知盛と同じだ。
 そう思うと、望美の口は勝手に動いていた。
 「白龍、泰衡さんを助けて」
 「神子、殿・・・?」
 泰衡が驚いたように目を見開く。けれど、そんなことに構ってはいられない。
 「それが神子の願い?」
 「そう」
 「向こうの世界に帰るのが遅くなっても?」
 「構わない」
 チラリと後ろのほうにいる将臣と譲を見る。
 二人とも、それでいいというように頷いた。


 「俺のことなど放っておけ」
 「そんなこと、できるわけないでしょう!」
 落ち着いた冷ややかな声。
 それさえ、西海に沈んだ知盛を彷彿とさせて。
 望美はいてもたってもいられない。
 もう、失うのは嫌なのだ。
 そのために鎌倉と敵対することを選んだというのに。
 こんな、最後の最後で・・・・・・!!
 「言っただろう?俺の罪は重い。これは相応の罰だ」
 「罪なら背負って生きて!死んで楽になろうなんて、百年早いよ!!」
 叫ぶ望美の瞳には大粒の涙。
 それをそっと泰衡が拭う。
 その手は氷のように冷たかった。
 「今日はお前を泣かせてばかりだな」
 ふっと頬に触れる手が離れる。それは力なく落ちていくようだった。
 「白龍!!」
 「それが神子の願いなら」
 泰衡の身体を白い光が包み込む。
 それはどこまでも優しく柔らかく暖かく。
 目の前の少女にとても似合いだと思った。
 けれど、罪に赤く黒く汚れた自分には酷く不似合いだった。
 傷が癒えていくのがわかる、身体に熱が戻る。
 不思議な感触だった。
 やがて光は収束し、視界が鮮明になる。
 「泰衡さんっ!」
 鴇色の髪が泰衡の視界を覆う。
 望美に抱きつかれているのだと理解するのにしばらくかかった。
 「無事でよかったっ!!」
 ぽんぽんと泰衡に頭を撫でられ、しゃくり上げる自分は幼子のようだと望美は思った。
 それでも、涙が止まらない。
 いつの間に、こんなに泰衡に侵食されていたのだろう。
 考えても答えは出てこなかった。



 「泣き止んだのなら、そろそろ離れてもらえないか」
 「あっ、ごめんなさい!!」
 相変わらずの冷たい物言い。
 けれど、自分を見る瞳が少しだけ柔らかいと思うのは自惚れだろうか。
 はぁ、と大きなため息をつきながら泰衡が立ち上がる。
 「これで、またしばらくお前たちの面倒を見なくてはいけないな」
 難儀なことだと眉をしかめながら、衣をひるがえす。






 その唇がわずかに笑んでいるのを望美は見逃さなかった。








 

 泰九で知望で泰望です(え?)
 平泉ED捏造、やりたい放題。
 すっごく楽しかったです。スランプだったのが嘘みたいだ。
 でもね、しばらく泰衡しか書けなくなりそうで怖い(笑)


 浄土じゃない。
 安らぎじゃない。
 ただ願うのは、貴方の生。


 060625作成