冷えた身体。
 閉じられた瞳。
 口許には薄い微笑み。
 静寂に満ちて闇を孕んでいた部屋は常よりも暗さを増して。
 ぼんやりと浮かび上がる白い布。
 声も温もりも何もかもが遠い。

 「泰衡さん」

 呼びかける声に返事なんて、無い。


夢花びらが散り重なって。


 菫、蓮華、蒲公英。
 春を迎えた平泉はどこを見ても野の花で溢れている。
 はしゃぎまわる子供や農作業に追われる村人。
 それらを横目に望美は一本の木の前に辿り着いた。
 あたたかい風景の中にありながら人が近寄らない場所。
 木の幹や地面に付いた黒い染み。
 さやさやと吹く風にわずかに混じる鉄の臭い。

 「ここ、で」

 泰衡は柳御所の者に襲われた。
 聞いた話では供を連れずに一人きりで、夕方までには戻ると言っていたらしい。
 見送りにくるつもりだったのだろうと九郎が言っていた。アイツはそういう奴だと。
 何も起こらないとでも思っていたのだろうか。
 鎌倉を退けたから平和だと。
 父親殺し、なんて大罪を犯しておいて。自分の身は安全だなんて。

 「そんなことあるわけないか」

 きっと泰衡は近いうちにこうなることを知っていた。
 自分が犯した罪の重さも。それに対する他者の反応も。何もかも。
 二歩も三歩も先を見ている。そういう人だったのだから。
 そっと、染みのできた幹に触れる。
 これが彼の中に流れていたものだという実感が湧かない。
 嗅ぎ慣れたはずの鉄錆の臭いに吐き気がした。

 「おねえちゃん」

 小さな子供の声。
 振り返ると両手いっぱいに野の花を摘んだ少女。
 あどけない表情で望美を見上げている。

 「おねえちゃん、おにいちゃんのお友だち?」
 「えっ?」
 「ここで寝てたおにいちゃん。お友だちじゃない?」
 「・・・・・・ここ、で?それって。黒い服、着てた人?」
 「うん、そうだよ。やっぱり、おにいちゃんのお友だちなんだね」

 途端、花が綻ぶように少女が笑った。
 よかったぁ、と抱えている花を望美に差し出す。
 彼女と目線が合うようにしゃがんでから、それを受け取った。
 ふわりと香る春の匂い。
 あたたかい風景の一部。

 「あのね。おにいちゃん寝ちゃってて、お花渡せなかったの。だから、おねえちゃん渡してくれる?」
 「・・・お花?」
 「うん」
 「・・・そっ、か。わかった、渡しておくね」

 うまく笑えているだろうか。表情が硬くなったりしてはいないだろうか。
 無邪気に笑う少女に不安を与えたくはなかった。
 だって、この子は花を渡す相手がもういないことを知らない。
 おそらく彼女は泰衡の死体を見た。ただ、それを死体だと気付かず。寝ているだけだと思って。
 もしかしたら殺される前の彼と話しているのかもしれない。
 泰衡は馬から下りたところを狙われたと聞いた。
 きっと彼は今の自分と同じように少女と目線を合わせたのだろう。
 普段の彼からは想像もできない姿が。それでも何故かしっくりきた。

 「こっちはおねえちゃんにあげる」
 「いいの?」
 「うん」
 「ありがとう。大切にするね」

 道の途中で振り返って大きく手を振ってから、また少女は走り出す。
 望美もそれに応えるように手を振り返した。
 手元に残ったのは小さく可憐な花々。
 泰衡が守った平泉の春。






 館に戻ってすぐに望美は泰衡が眠る部屋へと向かった。
 部屋の中は相変わらず暗く冷えて静謐。
 少女にもらった小さな花束だけがモノクロの世界に色を与える。

 「女の子からお花貰ったんです。お兄ちゃんに渡してって」

 二人きりの部屋で重い沈黙に耐えかねたように望美が話し出す。
 泰衡が生きていた頃は。何も話さなくても、彼が動かす筆の音だけで良かったのに。
 今は耐えられない。
 だって。彼の息遣いが。心臓の鼓動が。聞こえない。
 部屋の中にあるのは自分の動く音だけで。生きているものの気配が酷く遠くて。
 耐えられない。
 彼がどこにもいないなんて。理解できても納得できない。
 彼が目を開けない、なんて。

 「あの子とどんな話をしたんですか?」

 返事が無いことは十二分にわかっている。
 それでも話しかけずにはいられない。
 そうじゃないと、暗くて静かなこの部屋で狂ってしまう気がした。

 「そんな顔ができるってようやく知ったんですよ」

 望美の知る泰衡は不機嫌な顔か不敵な笑みくらいで。
 こんな穏やかな微笑みが出来るなんて知らなかった。
 それが。最期。なんて。
 どうして納得できるだろう。

 「寂しいです。泰衡さんと話ができないのは・・・・・・苦しい」

 触れた頬は冷たく硬く蝋人形のよう。
 握り締めた手に血が滲む。
 随分と身近になったはずの死がこんなにも。
 耐えられない。

 「だから私、決めたんです」

 泣きそうな顔を無理やり歪めて望美は笑う。

 「きっと泰衡さんは。余計なことを、って眉を顰めるんだろうけど」

 ただ一人のために時空を越える。逆鱗の力を使う。泰衡から見たら愚の骨頂だろう。
 時間の流れが傷を癒す。そんな当たり前のことに耐えられないのかと嗤われる事も承知の上だ。
 それでも。

 「今度は二人であの子から花を貰いたいんです」

 二人で平泉の春が見たい。
 重ねられたかもしれない時間を。過ごせたかもしれない未来を。
 見てみたい。
 他人から見たら取るに足らないちっぽけな願いだけど。
 望美にとってはそれが全て。

 「もう、行きますね」

 そっと重ねる唇。
 冷たいそれに一筋だけ涙を流して。
 淡い光が部屋を包んだ。








 

 「平泉EDで泰望。死んでしまった泰衡を見て運命を変える決意をする望美」でした。
 ちゃんとリクエストにそえてるでしょうか?
 泰望のくせに泰衡さん出番0です。申し訳ない。
 ともあれ、リクエストありがとうございました!!


 重ねたい時間。
 綴りたい日々。
 どうか次は二人一緒に。


 080826作成

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